全国の懐かしい町並みを見て歩いてかれこれ30年近くになりました。 その時の街並み紀行とあわせて、主に余り著名でないB級以下の建物やバスをはじめとした懐かしい車たちを色々な角度から見た画像なども紹介したいと思っています。 建物の模型等を作られる方の参考になればブログ主としては大変幸せに思います。

2013年6月30日日曜日

平三簡易郵便局

房総地区にで延伸開業した圏央道で、いすみ鉄道へのコースが変わりました。
東京から大多喜が近くなりましたね。
その大多喜への市原鶴舞ICからの新ルートの途中で発見した郵便局です。

13.6.9 千葉県 平三

鶴舞から大多喜への山越え途中の街にあった簡易郵便局。
木造の郵便局の現役局舎は貴重になりつつあります。

13.6.9 千葉県 平三
隣はバス停。
国道に面しています。

13.6.9 千葉県 平三

建物を一周します。
正面左側。

13.6.9 千葉県 平三
正面。
4段でも敷地が上がっているだけでアクセントが付きます。

13.6.9 千葉県 平三
正面右側。

13.6.9 千葉県 平三
右側面。

13.6.9 千葉県 平三
裏側。

13.6.9 千葉県 平三
裏側、反対サイド。
これで模型がつくれます(^O^)。

2013年6月28日金曜日

異国の街にて

異国の街に到着した時にホテルの窓から見える風景は印象に残ります。

13.6.22 台湾 高雄

台湾、高雄のホテルから見た裏路地の風景です。

13.6.23 台湾 高雄

翌朝の散歩でちょっと気になった建物。
タイルの色合いがなかなかです。

13.6.23 台湾 高雄

路地の民家。

13.6.23 台湾 高雄

道路標識だけでも面白いです。

13.6.23 台湾 高雄

夕食を食べた台湾料理屋さん。
レトロな建築でした。

13.6.23 台湾 高雄

路地の看板も異国情緒があります。

13.6.23 台湾 高雄

屋台料理屋さん。

13.6.23 台湾 高雄

線路脇の路地にあった夜店。
残念ながら閉店後でした。

13.6.23 台湾 高雄

散歩をしていたら突然のスコール。
あっという間に道路が水浸しです。
さすが熱帯地方です。

2013年6月26日水曜日

千倉駅前のタクシー営業所

1992年の夏休みに行った海水浴の時に見たタクシー営業所です。
92.7.24 千葉県 千倉
看板には千倉駅前からの概算運賃表が大きく書かれていて、バスの車庫みたいですね。
この看板、模型で活用させて頂きました。
この時から既に20年以上…。
今も健在なのでしょうか?
もうじきこの駅前も海水浴で賑わう季節を迎えます。

2013年6月21日金曜日

郡上大和の鶴来医院

長良川鉄道線沿線を走っていた時に見つけた洋風の病院です。
洋風病院建築はちょっとした街には必ずと言っていいぐらいあった全国区な建物で、偶然発見すると嬉しいものです。
これらの病院は大抵古い街並みの中に存在することが多いものですが、こちらの病院は田んぼの真ん中にいきなりありました。

91.11.2 岐阜県 郡上大和

取材時から既に四半世紀近いので場所の記憶が曖昧で、もしかしたら少しずれているかも知れません。
かなり年季の入った病院建築ですが、しっかりとメンテナンスがされていて美しい建物でした。

91.11.2 岐阜県 郡上大和

玄関のポーチ部分の二階部分が張り出し室になっています。
裏側は何故か撮っていません。
今となっては悔やまれます。

2013年6月19日水曜日

川桁駅前の旅館

磐越西線の川桁駅前。

10.4.25 福島県 川桁
駅舎と向かい合うように建っている駅前旅館。
現在は旅館業はやっていないようです。
昔はこの駅前から軽便鉄道が沼尻まで行っていました。
その頃はこの旅館も賑わったことでしょう。
いまは、一通りも疎らな寂しい駅前です。

2013年6月17日月曜日

東急東横線 祐天寺

東急東横線祐天寺駅。
13.6.15 目黒区 祐天寺

今となっては懐かしい店舗併設の駅舎です。
そのうち電鉄不動産の餌食になりそうな昭和な駅です。

13.6.15 目黒区 祐天寺

駅前の商店街は懐かしい雰囲気が漂います。
こちらは閉店してしまった寿司屋さん。

13.6.15 目黒区 祐天寺

三軒長屋を改造したレストラン。
古い意匠を生かしつつおしゃれに改装しています。
隣は古本屋さん。
古本屋さんがあるところは大抵それなりの文化が根ざしてしているところです。

13.6.15 目黒区 祐天寺

お隣は可愛い雑貨屋さんになっていました。

2013年6月15日土曜日

尾上の三浦病院

弘南鉄道津軽尾上駅で降りると明治時代の洋館がいくつか残っていました。

97.3.7 青森県 尾上
明治38年築の擬洋風建築で、地方都市の病院建築には良く見られた建築です。
下見板張り、正面玄関のポーチの上にはバルコニーがある等、小建築にしては見所が多い建物です。
残念ながら21世紀を迎えるころに解体されてしまいました。

2013年6月12日水曜日

岩手県川崎の街並みから

岩手県一関市川崎は大船渡線が大迂回をする有名な区間の道路側の直線コースにある集落です。
川崎の国道沿いには古い建物が多く並んでいました。

99.12.5 岩手県 川崎
交通量の激しい国道の交差点から街並みを見ます。

99.12.5 岩手県 川崎
中々途切れない車の列の間の隙を狙って撮った商家。
立派な造りです。

99.12.5 岩手県 川崎
反対側からももう1枚。

99.12.5 岩手県 川崎
こちらは東北らしい質素な商家。

99.12.5 岩手県 川崎
こちらは政治の匂いのするライオンズ会館。

99.12.5 岩手県 川崎
木に囲まれた会社事務所建物。

99.12.5 岩手県 川崎
上の建物のサイドビューです。

2013年6月9日日曜日

柳橋の船宿

『かつての花街、東京・柳橋で昭和2年より営む屋形舟の老舗舟宿小松屋。大川(隅田川)を上り下り季節のうつろいを川より眺めお楽しみいただいております。春は上流、墨堤のさくらを眺める。』船宿・小松屋さんのホームページには書かれています。
昭和のはじめより、ここ柳橋は花街として栄えました。
この河原にはいくつもの船宿が並び、ここから屋形船、投網、釣りなどに出てゆく場所として親しまれてきました。
柳橋の料亭から、旦那衆と芸者衆の舟遊びに、小屋根舟を漕ぎ出し、両国の川開き、龍灯祭など、隅田川も柳橋料亭街も華やかな時を経てきた歴史があります。

10.12.1 台東区柳橋
そんな柳橋は今も当時の面影を残しています。
川沿いには何軒かの船宿が川にへばりつくように軒を並べています。

10.12.1 台東区柳橋
こちらが、ホームページの文言を紹介した小松屋さん。

10.12.1 台東区柳橋
もう少しアップにしてみました。

10.12.1 台東区柳橋
川に刺さった柱の群れが独特の景観を作ります。

10.12.1 台東区柳橋
法的には微妙な船宿故改築がままならないようで、それが懐かしい景観を残すことになっているようです。

10.12.1 台東区柳橋
江戸の水辺の片鱗をかすかに残す柳橋の風景でした。

2013年6月6日木曜日

大畑の未成線

津軽海峡を挟んで二つの鉄道の未成線があることはよく知られています。今回紹介の未成線区間はその青森県側にあたります。経緯をウィキペディアから引用します(以下引用)。

『大間にある海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画された。後に戦争による空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、津軽海峡で最も幅の狭い大間~戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する路線として建設されることになった。1937年(昭和12年)に工事が開始され2年後の1939年(昭和14年)に大畑線として下北~大畑間が開通、大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみとなったが、1943年(昭和18年)に戦時中の資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置されていた。青函隧道計画が持ち上がった際に東ルート案ではこの区間を通ることになっていたため、それまでは地図には予定線として記載され工事再開の備えがあったようだが、1968年(昭和43年)に西ルートに決定してからは予定線として記載されることもなくなった。東ルートに決定していれば恐らく開通していたと思われる。海峡を挟んで接続する予定だった戸井線も同じく未成に終わった。』(引用おわり) 
つまり、津軽海峡を挟んだ二つの未成線には関連があり、どちらも戦争に翻弄された挙句に見放されていたわけです。
開通を見た大畑から険しい山越えをして急坂を降りたあたりから、昔ながらの家並みのが始まります。
国道を走っているとその家並の中に現れるのが写真の巨大なアーチの連なりです。
ここは、大間線遺構の代表的なものとして様々な本にも取り上げられてきた、通称:二枚橋橋梁でです。
アーチの連数は7連あり、なかなかの威容を誇っています。


00.8.14 青森県 二枚橋
大間の未成線の線路跡ではこの橋をはじめ、コンクリートの多脚アーチ橋が多く存在しており、いかにも「戦争中の工事線らしい」景色を醸し出しています。
ここに限らす、戦争中に建設された鉄道の橋梁の多くがあえて工期と手間のかかるコンクリートアーチを多く利用したのは、戦争中の鉄材不足が原因になっています。
また、その芯材には資材難から、木筋・竹筋のコンクリートも部分的に使われていると言われています。

00.8.14 青森県 二枚橋
海側国道から見たアーチ橋。
鉄橋直下の住宅も北国の海辺によく見られる素朴な建物です。

00.8.14 青森県 二枚橋
アーチ橋完成から撮影時で既に60年が経過し、かなりコンクリートも痛みが発生しています。
この訪問の翌年の2001年、国鉄から見放されて全国でも珍しいバス会社が継承した3セク、下北交通大畑線も廃止となって、この鉄橋の活用の可能性は100%無くなることとなりました。


2013年6月4日火曜日

吉井の街並み

岡山県の和気から今は無き片上鉄道に乗り換えて数十分のところに吉井の街はありました。
特に変哲はない街ですが、日本の典型的な田舎町といった風情がよく残っていました。

89.1.15 岡山県 吉井
吉井の街並み風景。
手前の倉庫はかなりの年代ものです。
柱は木を切ったままのような丸柱です。

89.1.15 岡山県 吉井

写真奥の建物を反対側から撮ったものです。
こちらはなかなか立派です。


89.1.15 岡山県 吉井

こちらは元雑貨屋さんでしょうか。
左側の妻面に差し掛けが長く伸びているので、建物の表情が少し締まって見える気がします。

89.1.15 岡山県 吉井
どこにでもある火の見櫓の風景・・・。

89.1.15 岡山県 吉井
こちらは役所の支所か元農協でしょうか。
建物には看板がありませんでしたが、まとまったスタイルをしていました。

89.1.15 岡山県 吉井

神社の鳥居の前にあった雑貨屋さん。
いい雰囲気を出しています。
こちらの写真、カラーでも撮ったのですがカビが発生していて、止むなく白黒版掲載です。

89.1.15 岡山県 吉井
左側面です。

89.1.15 岡山県 吉井
そして裏側。
撮ったものの、あまり面白くありませんでした。
但し、模型を作るときにはこの一枚が効いてくると確信しております。


本日は岡山のとある街歩きからのスナップでした。