全国の懐かしい町並みを見て歩いてかれこれ30年近くになりました。 その時の街並み紀行とあわせて、主に余り著名でないB級以下の建物やバスをはじめとした懐かしい車たちを色々な角度から見た画像なども紹介したいと思っています。 建物の模型等を作られる方の参考になればブログ主としては大変幸せに思います。

2015年9月28日月曜日

樋口一葉旧家跡を見に行く

シルバーウイーク期間に、都営一日切符を使って文京区本郷の樋口一葉旧家跡を見に行きました。

15.9.21 文京区 本郷
三田線の春日で下車。
菊坂下から坂を登ってゆきます。
最初に見えるのは一葉がお世話になったという質屋さん。

15.9.21 文京区 本郷

既に廃業して久しいようですが、そのままの姿を残しています。

15.9.21 文京区 本郷
一葉旧家跡を見に行くのは二度目です。
しかし、前回は20年以上前。
街並みも随分変わってしまっています。


15.9.21 文京区 本郷
旧宅近くの銭湯。
既に建て替えの案内が出ていました。
マンションになっちゃうようです。


15.9.21 文京区 本郷
到着しました。
一葉旧宅は私が立っている場所の左右にあったそうです。

15.9.21 文京区 本郷
今や、希少な風景です。

15.9.21 文京区 本郷
階段の上から見下ろします。
一葉は最初画面右下の自転車前の家に、次が反対側に引っ越したそうです。

15.9.21 文京区 本郷
一葉も使っていたという井戸が残っていました。

2015年9月22日火曜日

小名木川に架かる萬年橋

シルバーウイークの所用の合間に森下から清澄白河までプチ散歩をしました。

15.9.20 江東区 常盤

森下駅からあてもなく歩いて到着したのは萬年橋です。
『万年橋』という名前の橋は全国にあるらしいです。
以下はウィキペディアから。
万年橋(まんねんばし)はの名。近代以前の橋は木造・石造などが主流で、ひとたび洪水等の災害が起これば大変壊れやすく、また修築にも多くの時間と費用を要したことから「万年」に渡って橋が長持ちするようにとの願いを込めた慶賀名として、全国各地で同様の橋名として採用されている。

因みにこの江東区にある萬年橋は小名木川に架かる一番隅田川寄りの橋になります。

15.9.20 江東区 常盤

萬年橋はすでに1600年代にはあったようですが、現在の橋は震災後の昭和5年に架けられたものです。

15.9.20 江東区 常盤

1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、というそうです。
美しい造形です。


15.9.20 江東区 常盤
15.9.20 江東区 清澄
付近には懐かしい建物も辛うじて残っています。

2015年9月18日金曜日

松江の浅野小児科病院

松江市内の一畑電車の駅に近い場所にある小児科医院です。

13.8.17 島根県 松江

病院外観です。
1989年に修復作業が行われ、2007年に国登録有形文化財に指定されました。

13.8.17 島根県 松江

建築は大正元年とされ、各部の意匠はなかなか凝ったものです。


13.8.17 島根県 松江

石の基部を持った2組4本の列柱で、玄関ポーチを支えています。

修復作業などについてはこちらが参考になります。
http://kankyou-keikaku.com/untitled103.html

2015年9月12日土曜日

椎名町の病院

先日、トキワ荘跡地見学(こちら⇒http://tatemonomeguri.blogspot.jp/2015/08/blog-post_30.html)の帰り道に、椎名町駅前で古い病院建築に出会いました。


15.8.13 豊島区 椎名町

暮れなずむ椎名町の商店街。

15.8.13 豊島区 椎名町

その一角に忘れ去られたように佇む洋館。


15.8.13 豊島区 椎名町

こちらが正面です。

15.8.13 豊島区 椎名町

歯科医院であったようですが、廃業してからかなり時間が経っていそうです。
人通りの多い駅前近くの場所で、ここだけが静かです。

15.8.13 豊島区 椎名町

こちらが、裏側。
手前側の和風建物が院長先生の自宅のようでした。


2015年9月7日月曜日

チェスキークルムロフ その2

チェスキークルムロフの二回目は、夜のシーンです。

15.7.16 Cesky Krumlov

日没とともにチェスキークルムロフ城がライトアップされて来ました。

15.7.16 Cesky Krumlov



15.7.16 Cesky Krumlov

暮れなずむひと時だけ見れる風景は旅情を感じます。

15.7.16 Cesky Krumlov


15.7.17 Cesky Krumlov

一夜明けて翌朝の風景です。
写真左手のホテルに宿泊しました。

15.7.17 Cesky Krumlov

石畳の街並みは照明がついた時間帯は昼間とは別の表情を見せます。



15.7.17 Cesky Krumlov

歴史の流れに翻弄されたチェスキークルムロフ、美しい街でした。

2015年9月4日金曜日

チェスキー・クルムロフの風景

チェスキー・クロモノフはチェコの南ボヘミア地方にある小さな街です。
こちらの街は現在ユネスコの世界遺産に登録され、プラハと組み合わせで観光コースに組み込まれて有名になった街です。
今回は、その美しい街の写真を見てぜひ立ち寄りたいと思うようになりました。

15.7.16 Cesky Krumlov

チェスキークルムロフにはプラハから列車で向かいました。

15.7.16 Cesky Krumlov

一緒に列車を降りたバックパッカーの後をついていけば、地図見なくても旧市街に着いちゃいました。
大半の観光客はバスか自動車で訪れるようで、列車で行く人は少数派です。

15.7.16 Cesky Krumlov

旧市街の入り口に15分程度で着きました。

15.7.16 Cesky Krumlov

旧市街は観光客で賑わっていました。

15.7.16 Cesky Krumlov

市街を一望できるチェスキークルムロフ城へ向かいます。

15.7.16 Cesky Krumlov

城からの市街地風景です。
このように、実際に訪問してみるとその風景はまさに素晴らしいの一言でありました。

15.7.16 Cesky Krumlov

塔屋に登ってみました。
こちらはもっと感動的です。
しかしながら、歴史的には色々と歴史に翻弄された街であったようです。
住んでいる人々ドイツ系とチェコ系がまざり、第一次大戦後のチェコスロバキア時代にはドイツ系住民の追放をされたり、ナチス時代にはドイツ領に併合されたものの敗戦でドイツ住民は市民権と私有財産を剥奪、没収され、故郷から追放されてしまいます。
ドイツ系住民の多かったチェスキー・クルムロフはそのような理由から荒廃状態になって『死の町』とさえ言われていたそうです。
その価値が見直されたのは1989年の民主化以降と言うことですから、比較的近年のことのようです。

歴史的な経緯を知ると複雑な気持ちにはなりますが、実際に見る景観はやはり素晴らしいです。